忘れられる権利 雑談(1)~米国の受け止め方

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忘れられる権利

はっきりとではないのですが、日本にいる人の話を聞いたり、ネット上の情報を見たりしている中で、「忘れられる権利」というコトバが日本で注目を浴びているぽい、と去年あたりから感じておりまして、しかしそうだとしてもそんなに注目されるほどの概念なんかな、などとぼんやり感じておりましたところ、NBL第1044号(2015.2.15)の鼎談記事『検索結果削除の仮処分決定のとらえ方と企業を含むネット情報の削除実務』という記事を拝読しました。なるほど、5月のEUでの判決(注1)、その比較的すぐ後に日本でも裁判所が類似の決定(注2)、ということで注目されやすい流れがあったのかもしれません。

(注1) CaseC-131/12, Google Spain SL v. Agencia Española de Protección de Datos(May 13, 2014)。スペイン人男性が、Google等を相手方として、2010年、スペインのデータ保護局に、「私の名前をGoogleで検索すると、未払社会保険料徴収のために差押・不動産競売手続が行われるとの1998年の新聞記事が検索結果に表示されるが、この問題は解決してから相当時間が経過しているから、Googleは検索結果を非表示にせよ。」と申立て。これが認められたため、Googleが裁判所に不服申立てをしたところ、欧州司法裁判所が、結論として、個人の「情報が、その処理目的に照らして、時の経過に伴い、不適当、関係がないか失われた、又は過剰である」ときには、本人は、検索エンジンに対して、そのような情報のリンクの削除を求めることができる、と判断した事案。読売新聞ニュースはコチラ

(注2) 東京地決平成26年10月9日。日本人の男性が、グーグルで自分の名前を検索すると、自分があたかも過去に犯罪行為を行ったかのような検索結果が表示されるとして、そのような検索結果の削除を求めた仮処分申し立てが認められた事例。裁判所が検索結果の削除を命じた日本初の事例だとされています。

しかしこのNBLの記事にて、石井夏生利先生がおっしゃっておられます:

「プライバシー関係にはキャッチ―な言葉や誤解されやすい言葉が多いと思います。(中略)『忘れられる権利』もその1つではないでしょうか。そういうキャッチ―な言葉が出れば飛びついてしまう。でも、過去の知られたくない情報について、時が経過した後に他人に無断で公表されたことによるプライバシー侵害は、昔から存在する論点です。(中略)言葉に飛びついて、今回の(東京地裁の)仮処分決定は『忘れられる権利』を認めたものだととらえることは事象の表面しかとらえておらず、適切ではないといわざるを得ません。」

「ごっついそのとおりですやん・・・」と、自分のもやもやしたものを明確に言葉にしてもらい、感服いたしました。

筆者は以前「ノンフィクション『逆転』(注3)」事件がほぼそのまま問題となるような裁判を担当したことがありました。ノンフィクション「逆転」事件は、いま議論されている忘れられる権利の基本コンセプトをそのまま体現した事案といってもいいはずです。要するに、忘れられる権利というものは、全てではないにせよ、むしろクラシックなプライバシーの利益、つまり「そっとしておいてほしい」権利を含んでいるのであり、それがインターネットやGoogleその他の検索エンジンという情報媒介者の登場によって再フィーチャーされているということだと思うのです。

(注3) ノンフィクション「逆転」事件は、ノンフィクション小説に自分の前科をなす犯行を実名を用いて書かれた原告が、出版社等に損害賠償を求めた事件。出版は事件発生から10年以上経過後、原告は刑期も終えて一市民として暮らしていました。最高裁は、平成6年、みだりに前科を公表されない法的な利益を認め、事件から時間が経ち平穏な生活を妨げられない利益の侵害があるとして、被告による不法行為を認めました。

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アメリカでの一般的な受け止め方など

もっとも、日本で忘れられる権利が注目されているのはなぜだろうと筆者が感じていた違和感の背景には、もう1つ、今筆者が米国にいるという事情もあったのではないか、とも思われます。要するに、米国で生活していても、そこまで忘れられる権利がフィーチャーされているとは感じなかったということです(筆者の感度が悪かっただけという可能性はありますが)。

そこで、改めて少し米国内での議論状況を見返してみますと、昨年5月EU判決に対するリアクションとして、最大公約数はこんな感じかと思います:

1 EUのルールによればそうなるんだよね、それは分かる。EUは厳しいんだよね。

2 でも表現の自由があるよね。EUの厳しいルールをそのままアメリカには持ち込めないよね(注4)。

さすが、DNAレベルまで表現の自由が浸透している国です。別の言い方をすると、比較的他人事だったような。

(注4) もっともEU判決に批判的な見解にもバラエティはあり、「オープン」なインターネットによるイノベーションを礼賛するもの、Free Speech Junky(表現の自由の徹底)を自称する人、「EUでGoogleが検索エンジンの圧倒的なシェアを占めてて、いろんな情報が米国の企業に持って行かれてるのに対する反発もあるでしょ」とか、「スノーデン問題でEUの人結構怒ってたからねー」とかいうポリティカルな文脈で論じる論調、あと結構目にするのが、一企業に本来裁判所が判断すべきような表現内容に対する選別・判断をゆだねることに対する問題(Private Censorship=私的検閲。この用語は米国でインターネットと表現の自由を語るときのキーワードの1つかと思います)を指摘する見解などが見受けられます。

そのあたりの米国の受け止め方を、(米国寄りながら、)ディベート的イベントを通じてうまく出していると思ったFortuneの記事がコチラ

EUの人(要旨):「インターネット時代のプライバシー侵害はますます重大だ」「ヨーロッパの歴史は、独裁主義がいつだってプライバシーの監視と排斥に依拠してきたことを示している。」

米国の人(要旨):「EUの判決はあいまいで、検閲だ」「忘れられる権利の濫用により、歴史は書き換えられ、過去を振り返ることができなくなる。」

それから、コチラのSoftware Adviceという会社のページでは500人のアメリカ人に対する調査結果と専門家の意見がまとまっています。61%のアメリカ人が何らかの忘れられる権利が必要だと考えている、39%のアメリカ人はEU式の包括的な忘れられる権利が必要と考えている、とのことで、EU判決に対する比較的高い賛同率がへぇーという感じですが、専門家は最終的には一様に表現の自由を持ち出して、アメリカでそのまま実行するのは難しい、という結論のようです。コンセプト賛成、やり方要検討、というところでしょうか。

あとは、当事者であるGoogleサイドの受け止め方です。今年2月に、興味深い内容のアドバイザリー委員会によるレポートが公表されています(注5)。そもそも昨年5月のEUの判決については、一般的な「忘れられる」権利を確立したものではないこと、そして主な争点であったEU以外のドメインでも削除に応じるか否かについては、「(そのような全世界的な検索結果削除の先例を作ることは)抑圧的な政府による、ひどく検閲のされた検索結果しか手に入らない世界にユーザーを閉じ込めるのに利用される」ことへの懸念がある(注6)、ということで、EU内ドメインのみで削除に応じることでOKとしています。

要するに、Googleは、今回のEU判決後、削除請求を受け入れる場合でも、Google.de(独)とかGoogle.fr(仏)とかの検索結果からは削除しても、Google.com(米)からは削除しないという運用をしていましたが、それでもOKとしたということです。本当に外部の独立した委員会なのか若干疑問も生じてきますが笑、結論としては、やはりEU流をそのままは受け入れることはしないということです(注7)。なお、委員の反対意見も付記されています。

このレポートのその他の内容については、別途後に触れられればと思います。

(注5) 5月のEUの判決を受けて、プライバシー保護と情報アクセス権のバランスをどう取るべきか、検討するために組織されたもよう。レポートはコチラから見られます。ヤフージャパンも先日似たようなレポートを出してました。

(注6) 中国やトルコのブロッキング事例が想起されます。

(注7) 昨年9月には、フランスの裁判所で、Googleに対して「全世界のドメインから」検索結果を削除することを明確に命じた仮処分が出され、遵守しないと1日1000ユーロの罰金が科されることとされたそうですが、Googleはやはり従わないみたいです。

Right to Obscurity

Right to Obscurityという用語を用いて、一般的な受け止め方と少し異なるかもしれない調子なのが、消費者プライバシーの所管官庁の総本山、FTC(連邦取引委員会。日本の公取みたいなの)のコミッショナー、Julie Brill氏です。

コチラに記事がありますが、3000字を超えてきましたので、いったんココで切りたいと思います。

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